文の練習 

文について練習しながら考えるためにブログを書きます。 書かれることの大半はフィクションです。

蓮實重彦

 

 最後になるかもしれない蓮實重彦の講演をほぼ中央、一番前の席で聞いていた。もしや、味を占めて、これからは講演依頼を受けるようになるのかもしれないが、日本で最も権威づいた建物において日本で最も批判精神に富むご高齢のライフワークに関する独り舞台を見ることはもうなさそうだ。だからかしら、観客への感謝の辞を終え、格好いいコレージュの教授を真似て演台の卓を右手中指の関節で小突いて、講堂の拍手を攫って彼が舞台を降りたとき、不覚にも涙が落ちそうになった。ああ、これでもう終わりかと思った。あの女学生達のように走り寄って握手でも求めればよかったろうか。普段、そういうミーハー精神が私のうちに溢れているのは認める。しかし、僕は、つい僕といってしまったが、私は彼が立つのと反対側の扉から出て、受付を任されていた仏文科の友達に会釈して、講堂を出て自転車に跨がり、逃げるようにして学校を出た。彼を畏れたというよりは、一方的に譲り受けたつもりになっている形無き宝物をこっそり家へ持ち帰って眺めたい気分だった。その時には誰と話をして共有したいとも思わなかった。だから、帰って家族にその内容を話した訳でもない。ただ、クソ面白かった、とだけ言って、口数少なく食事した。それよりも、必死に、受け取った何かが別物に変じてしまわないうちに身体にしみ込ませようとしていた。だから、次の日は上野公園を散歩したが、連れに対して口ぶりとか切り口を必死にまねてみようとしたし、その次の日は、ともかくゼミのため必要のあったレジュメの形式を、講演で配られた資料に似せようと一日中パソコンに向かった。おかげで、余談だが、引用符の知識が増大した。しかし、芸とはこういうものだと今では確信している。三島由紀夫は武士道に比して、芸道は死なぬと言った。しかし、不謹慎ながら、蓮實重彦が死ねば、蓮實重彦の芸道は確かに死ぬのである。それを彼は自覚していたはずだ。だから、信条を曲げても大学の講演に出たのだと思っている。一方で、私は蓮實重彦には決して成れないということを自覚しなければならない。その代わり、芸への関わり方は、学ぶつもりがあればきっと学べるのである。たとえ師が隣におらずとも、相応の覚悟と鍛錬があれば、弟子は自任できるものである。このことこそが、文字やメディアを通して広がる、無形の世界、時に学や知と呼ばれる領域の素敵なところではないか。大学に入って四年目にして漸く想い至った感慨である。さて、私に芸を成すことはできるだろうか。今は、全く芸と呼ぶべきものからほど遠いところに手持ち無沙汰で立っているに過ぎないことへの焦りがあるのみであるが、一方で、私にどのような芸が為せるのか、という期待が私を突き動かすようだ。