文の練習 

文について練習しながら考えるためにブログを書きます。 書かれることの大半はフィクションです。

天麩羅

 

西宮に帰るとほとんど必ず寄る、近所の天ぷら屋がある。そこの天ぷらを祖父は大変好いていて、一緒に行く。店の看板は「天がゆ」という。達筆過ぎて、「ゆ」が「い」に見え、祖父は「天がい」と呼ぶ。私は、末尾を「ゆ」と「い」の間で発音している。少し前まで、大阪伊勢丹への出店準備のために休業していたが、近く営業を再開したのでこの度の帰省に際して再び出向いた。
帰省した翌日、古びて湿気を含んだ店の木戸を久々に開くと客で溢れ、天ぷらを食うのはまたに持ち越された。その所為で妹が好物のエビ天を食い逃したのは、関西では「間んが悪い」という。友人と晩飯を食う約束をしていたらしい。次の日になって、再び来店した甲斐あって、すっと天ぷらにありつけた。店に御任せのコースを二人前注文する。職人が揚げ始める前に、私が「油を少なくして揚げることはできますか?」と聞いた質問が的を射なかったようだが、「いい衣は油を吸わへんので、胃にはもたれへんですよ」と自慢げに気遣ってくれた。東京にいる反動で、薄い天ぷらへの関心が変に高くなっていたのだが、それは胃よりも天ぷらの質の違いを気にしてのことだった。御通しが来て、つついているうち、さくさくと、海老やたけのこや空豆が揚がってくる。東京に多い、濃いきつね色のものと違って白い。衣も、控えめである。したがって、包まれている方の味がよくわかる。衣はあくまで、具を揚げるための補助に徹する。衣に主張はない。人によっては頼りないかもしらんが、かえって、仰々しくなく奇麗だと思う。手術を経て重たいもんを受けつけないはずの祖父の胃にさえ、おとなしく食われていく。時に塩、時に天つゆで味付けする。塩は複数種あり、私は梅や紫蘇を乾燥したのが細かく刻まれて混ざっているのが好きだ。職人は素材を揚げるたびに、お勧めの味付けを教えてくれる。お好きなのんでどうぞ、という時もある。勧めに素直に従う時もあれば、なんにもつけないで食べる時もある。たとえば揚がるとすぐに、海老はしっぽの先まで食う。祖父は、レモンを絞り、天つゆをつけて身だけを食う。揚げ物の間で、すりおろし大根を口へ放り込む。胃もたれしないように。そういうどうでもいいようなことをときどき祖父へ教える。外の傷以外は、滅多に体を悪くしない彼に取っては些細な健康の情報を仕入れる必要が無かったのだろう。第一、大根おろしが、油による胃もたれを本当に緩和するかどうかは私も知らない。気休めだ。ところで、こういう、ちょっとしたこと以外は店では会話はしない。職人の調子で天ぷらが揚がって出てくるので会話をしても、途切れ途切れになる。それが分かっているので、会話をしても弾ませるというよりは天から天へ間を繋ぐ感じで話す。もともと祖父も私も口数が多い方ではないし。そういえば、広島で、「元祖つけ麺」屋に連れて行ってもらった。そこでは会話が厳禁でさえある。知らず、何度か連れに話しかけようとして困った顔をされた時は、何か悪いことでもしたかと思った。いや、予め教えてくれなかった方も人が悪い。ともあれ、そういう店は高い鮨へ行けばどうか知らないが、あまり見かけない。飯が提供する価値のうちの補助的な役割に成り下がっているような店が多い。これを飯屋と呼んでいいかどうか。店の雰囲気をこそ味わうようなカフェはそれでいい。しかし飯屋はぜひ食事を提供することにまず心血注いで欲しい。他は二の次でよい。さすがに、卓にゴキブリ捕獲の用品があるのはどうかと思うが。失礼、上野の定食屋の話です。ともあれ、その天ぷら屋は近場の店にして、飯を心ゆくまで味わえる。さて、かき揚げまでくると、最後はお粥さんと漬け物、味噌汁で〆るのだ。大概の場合は既に満腹を通り越しており、祖父のかき揚げはそのまま家で帰りを待つ祖母のお土産になった。食ったのは妹だったが。

 

  天がゆ