文の練習 

文について練習しながら考えるためにブログを書きます。 書かれることの大半はフィクションです。

2012-01-01から1年間の記事一覧

或る経済人の遺姿

むかし故郷にありし頃は、犂とり簣にないて、霖雨には小麦の蝶に化せんを怖れ、旱りにはまた苗代水の足らざるをかこちけるが、世のみだれゆくさまをなげきて、負気なくも国家の憂をおのが憂とせしより住みなれし草の庵を立出で、西の都に赴きし(雨夜譚、は…

秩序

はじめに 人が寄り集まって生活を営み始めると、はじめは種々の混乱や予期せぬことへの対応に追われるのだろうが、やがて生活の反復と模倣によって彼らの生活に秩序が生まれる。ところが、やがて秩序にとって自らの勘定に入れ難い存在が秩序そのものの中から…

蓮實重彦

最後になるかもしれない蓮實重彦の講演をほぼ中央、一番前の席で聞いていた。もしや、味を占めて、これからは講演依頼を受けるようになるのかもしれないが、日本で最も権威づいた建物において日本で最も批判精神に富むご高齢のライフワークに関する独り舞台…

走り書き1

「社会と、気軽に繋がっている[ように思える]為の道具を断とうとしている。SNS・携帯・等々。モバイル、とは«何を»持ち運ぶことを可能にしているのか。連絡の取りやすさである。しかし、なぜ、連絡の取りやすさが価値を持つのか。間を持たせる為だろうか。…

天麩羅

西宮に帰るとほとんど必ず寄る、近所の天ぷら屋がある。そこの天ぷらを祖父は大変好いていて、一緒に行く。店の看板は「天がゆ」という。達筆過ぎて、「ゆ」が「い」に見え、祖父は「天がい」と呼ぶ。私は、末尾を「ゆ」と「い」の間で発音している。少し前…

「文」 一、

「文」 一、 文について、はじめに、何度でも立ち向かわねばならず、また出来る限り誠実であろうと思う問題について記す。誰にも要請されていないのに、文を書くとはどういうことか。あるいは、誰にも要請されていないのに書かねばならない文とはどういうも…